働き方

稲盛さんと一人さんから教わった「天職」とは

2024年3月20日

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朝日
しゅう
しゅう

こんにちは。しゅうです。

当ブログに訪問してくださり、感謝してます!

私が師と慕っている稲盛和夫さん(以下、稲盛さん)と斎藤一人さん(以下、一人さん)。

お二人とも実業家として大成功され、書籍も多く出版されています。

ここでは、お二人が働くこと、特に「天職」についてどのように考えられているかについて書いていきます。

しゅう
しゅう

この記事は次のような人におすすめです!

・天職に興味がある人

・稲盛さんの考え方を知りたい人

・一人さんの考え方を知りたい人

稲盛さんが考える天職とは

稲盛さんが就職活動をされていた頃は、就職難の時代で、なかかな就職口が見つからなかったそうです。

稲盛さんは大学では有機化学を専攻されいたため、就職先も有機化学関連の会社を希望されていたようですが、採用は叶いませんでした。

なんとか恩師の紹介で京都の無機化学関連の会社に就職されます。

しかし、実際に入ってみると、給料の遅配は当たり前、労働争議も激しく起こっているような会社でした。

あまりにも劣悪な労働環境に、一年もたたず同期は次々と辞めていったそうです。

稲盛さんも会社の悪口を言いグチをこぼし、実際に自衛隊の幹部養成学校の試験を受け、合格しました。

しかし、家族が反対し、実家から必要書類が届かなかったため、入学を断念されたそうです。

そして色々悩み、考えた結果、一つの決断をされました。

それは、不満で会社を辞めたら、きっと人生はうまくいかなくなる。

まずは働くことに打ち込んでみよう、というものでした。

それからは、研究室に寝泊まりしながら、研究に打ち込まれます。

すると、次第に素晴らしい研究成果が出るようになります。

上司からも評価されて、さらに仕事に打ち込む、というプラスのスパイラルが生まれてきます。

今まで「なんて古い研究設備なんだ」「専攻していた分野と違う」と不平不満ばかり言っていたのがうそのように「仕事がおもしろくて仕方がない」とまで変わっていったそうです。

実際、自分がしたいと思っていた仕事に就ける人はごくわずかです。

さらに、その就きたいと思っていた仕事が、実際にしてみると、思っていたのと違うということもよくあります。

その時にどう考え、どう行動するか。

自分が思っていた仕事と違うから辞めて転職する。

自分に合っていないから辞めて転職する。

そう考える前に、もう一度、ど真剣に仕事に打ち込んでみる

心の持ち方を変えることによって、人生の本当の転機が訪れるかもしれません。

「天職」とは出会うものではなく、自らつくり出すものなのです。

稲盛和夫 「働き方」 P53

一人さんが考える天職とは

一人さんは天職について、自分がワクワクして楽しく感じる仕事をすると、それが天職」になっていく、と言われています。

自分が望んだ仕事でなくても、それを笑顔で、楽しくやっていれば、それが天職になる、ということですね。

だから、自分の天職はどこかにあるハズ、ってあれこれと職を探すのではなく、今やっている仕事をいかに楽しくするかを考えていればいいんですね。

今の仕事がワクワクしない、楽しく感じないのであれば、転職を考えてもよい。

だけど、転職をする前に3か月間、必死になって働く

そしてその会社の人たちに惜しまれて辞める。

惜しまれて辞めるのと、惜しまれずに辞めるのでは、その後が違ってきます。

惜しまれて辞めるような人であれば、天が味方してくれる

天が新しい職場を用意してくれます。

さらに、3か月必死で働いたら、自分がバージョンアップしているから、転職するにしても、絶対によい転職ができます。

会社だって同じポジティブな波長の人を引き寄せます。

惜しまれずに辞めると、また惜しまれずに辞めてしまうような会社を引き寄せてします。

結局、入った会社が自分に一番合った修行先なんですね。

仕事って自分が選ぶと思っているけど、実は仕事から自分が呼ばれているんですね。

ここで一人さんのお弟子さんの話をしましょう。

お弟子さんの舛岡はなゑさんは昔、喫茶店のマスターをしていました。

ところが、お客さんが入らず、閑古鳥が鳴いていました。

そこに一人さんが通うようになり、色々とアドバイスを受けられました。

するとお店はたちまち繁盛店になりました。

ところが、はなゑさんは一人さんと仕事がしたくなり、銀座まるかんの仕事をするようになります。

喫茶店と健康食品・化粧品販売では仕事は大違いですが、大成功しました。

さらにはなゑさんが大好きなメイクの仕事にもつながり、今では億万長者になられています。

これも仕事から自分が呼ばれている例なんだと思います。

もう一人、お弟子さんの話をしてみましょう。

お弟子さんの千葉純一さんは昔、印鑑メーカーの営業マンをしていました。

一度、自分で会社を倒産させた経験のある千葉さんは、毎月サラリーが入ってくる営業の仕事を楽しくされていましたが、慣れから仕事がつまらなくなってきました

そこで、幼馴染の舛岡はなゑさんの喫茶店に行っては、会社の文句ばかり言っていました。

愚痴を聞き飽きたはなゑさんは、千葉さんにある人を紹介します。

そう、それが斎藤一人さんです。

早速、喫茶店に来られていた一人さんに、思う存分、会社の愚痴を吐き出します。

その愚痴を聞いた一人さんは、「要するに、純ちゃんは幸せになりたいんだよね」と言われ、その後、色々とアドバイスをされました。

すると千葉さんの営業成績はたちまちよくなり、さらに仕事が楽しくなっていきました。

ところが、千葉さんは一人さんと仕事がしたくなり、銀座まるかんの仕事をするようになります。

印鑑メーカーと健康食品・化粧品販売では仕事は大違いですが、大成功しました。

さらに一人さんの教えを多くの方に届けるための講演の仕事にもつながり、今では億万長者になられています。

私の体験

私も仕事を始めてから「自分の天職って何だろう?」と考えたことが何度もあります。

私の仕事人生はジェットコースターのように乱高下し、普通の人より多くの仕事を経験しましたし、多くの職種も経験しました

3交代の派遣社員として、真夜中の工場でめちゃくちゃ寒い中、一人で製品の品質チェックをしたこともあります。

天職」についている今では、それもいい思い出ですが。

私が京セラに入社して、始めに配属されたのは、情報システム部門でした。

大学では工学系の勉強をしていたので、メーカーの京セラでは、製造部門や開発部門に配属されるのではと考えていたので、意外でした。

配属先が鹿児島の工場だったため、工場内にある製造部門への情報システム導入やサポートがメインの仕事でした。

電子メールシステムを導入したり、設計部門が利用するCADシステムをサポートしたりしていました。

それから1年も経たず、上司に他の部署からシステム開発の人員不足のため支援依頼があり、そのシステム開発メンバーに加わることになりました。

最初は別々の工場でシステム開発をしていましたが、一か所でまとまって開発をした方がよいということになり、私は2年目で別の工場に転勤となりました。

その後、システムは無事完成しましたが、このシステムを他社にも販売していこうということになり、今度は新規商品開発部門に異動することになります。

新規商品開発部門は関西にもありましたので、関西の開発案件でヘルプが入ったときは、長期で関西にサポートにも行くようになりました。

すると、関西への転勤の話も出てくるようになりました。

私は鹿児島の職場のメンバーが好きだったし、田舎の方が肌に合うので、転勤を断りました

そして、何年かすると、また転勤の話が出てきました。

これも仕事から呼ばれていたのかもしれませんが、その当時の私は気づけませんでした。

そしてまた転勤を断りました

会社の要請を2度断るということは今はどうか分かりませんが、当時、従わない人は他にいませんでした。

もう会社にはいれないなと思い、私は会社を辞め、地元にUターンするという決断をしました

その後、地元にUターンし、情報システム開発関連の職に就きましたが、一部上場企業と地元企業ではまず給与が違います。

前の会社に給与を近づけるため、新しい会社で私は管理職採用となりました。

仕事はお客様への情報システムの提案、そして提案が採用されるとチームを作り、システム開発プロジェクトのマネジメントを行いました。

仕事は面白かったですが、管理職ということもあり、残業代は出ません

部下よりも給与が低いことが常でした。

そして、帰宅が深夜になることもざらでした。

あまりの長時間労働に心身に相当な負荷がかかりました。

それに追い打ちをかけるように社内政治が行われていました。

これが「天職」だと思い、何年も耐えていましたが、明るい未来が見えて来ないので会社を辞めることにしました

その後、縁のあったベンチャーに就職しましたが、社長と価値観が合わず、リストラされます。

そして、ジェットコースターが急降下するように仕事を転々とすることになります。

しかし、世の中、捨てる神あれば拾う神ありという言葉があるように、私にも拾う神が現れました。

それが今、働いている医療機関です。

何年か前にこの医療機関でシステム導入が行われた際、導入支援依頼の話がありました。

その時、メンバーが誰も支援をしたいと言わなかったため、私が支援に入りました。

その時のご縁で、何年か後に一緒に働きませんかと声をかけてもらったのです。

これが仕事から呼ばれるということだな、と感じています。

入職してから何年間かは、コンピュータとは全く関係のない医療事務部門で病院経営を学ぶための修行をしました。

天職は自らつくり出すもの、と考えていたので、新しいことばかりでしたが、全く苦はなく、楽しんで仕事をしていました。

その後、新しい部署を作っていただき、今もワクワク楽しみながら仕事をしています。

今の仕事を楽しみながらすることで、それが天職になると信じているからです。

まとめ

今回の記事では「天職」について解説してきました。

本記事の要点は以下のとおりです。

まとめ

  • 稲盛さんは、「天職」とは、出会うものではなく、自らつくり出すもの、と言われています。
  • 一人さんは、自分がワクワクして楽しく感じる仕事をすると、それが「天職」になっていく、と言われています
  • 一人さんは仕事は自分が選ぶと思われているが、実は仕事から自分が呼ばれているのだ、と言われています。

ぜひ、仕事を楽しんで行い、今の仕事を天職にまで高めていきしょう!

参考文献

稲盛さんや一人さんの働き方や天職については、以下の本で触れられています。

とても素晴らしい本ですので、ぜひ手に取ってみてください。

  • 働き方

 2009/4/2 三笠書房 稲盛和夫著

 2012/5/23 サンマーク出版 斎藤一人著(共著)

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